0.はじめに
天気の子、面白かったですね。
本当にいい作品で、とってもよくできた作品だと思います。
何が面白かったのかって聞かれると(語彙力がなく)うまく説明できないんですが、それってつまり、エンターテイメントとしてすごくクオリティが高いんだとも捉えられると思います。(都合よすぎますでしょうか)
並べよう思えば、いくらでも並べられると思うんです。
ボーイミーツガールで、笑いもあって涙もあって、(多分)セカイ系で、音楽が素晴らしくて、背景はそれはそれはもちろん素晴らしくて、ハラハラドキドキで……とにかくすごくよくできたエンターテイメントなんです。
そういった意味で、純粋に楽しませるといった点に関して、すごくよくできていたと思います。
ただ、エンターテイメントであることは間違いないんですが、「あー楽しかった!」の一言でまとまらない、「賛否両論」となる作品であることも事実です。
その、ある種の矛盾がまたこの作品であったり、新海さんの魅力の一つ何だと思います。
ここらへんは、新海さんや川村さんもおっしゃっていますね。
(以下、青字は新海誠さん。赤字は川村元気さん)
「この舞台だからこそ思いっきり、夏休みの老若男女のための映画じゃない方向に舵を切ろうと思いました」 出典:月刊カット 8月号 株式会社ロッキング・オン
「老若男女のための夏休みエンタメ映画にする必要はないと思ったと言いましたけど、そう言いつつも自分達でできる限り、技術の枠を尽くしてサービスする映画にしたつもりです」 出典:月刊カット 8月号 株式会社ロッキング・オン
「見てくれた誰かと誰かの価値観と価値観がぶつかるような映画でなければいけない、とも考えました」 出典:日経エンタテインメント! 2019年8月号 日経BP社
「次は新海誠の作家性が爆発したものだろうか、と個人的には思っていました。でも、新海さんから出てきたのは『王道のエンタテインメントをやってみたい』という言葉だったんです」出典:キネマ旬報8上旬号 株式会社キネマ旬報社
「だから新海さんの中にも矛盾のある作品なんだと思います。(中略)そうした二律背反した感情を不思議なバランスで保ち続けているところが、新海誠という人物の作家性なのかなと思っています」出典:キネマ旬報8上旬号 株式会社キネマ旬報社
僕個人としては、天気の子の終わり方は非常に満足のいくもので、よくぞやってくれた新海監督!となったので、そういった意味では「賛」側なのだと思います。
新海さんの魂の叫びというか、「君の名は。」で怒っている人たちへの叫びだったり、生きづらい世の中への鬱憤だったり、あるいは現代を生きる子たちに向けたメッセージを、ガツンと叩きつけられましたね。。。
映画を見終わった直後は、面白かったなぁ、空きれいだなぁ、ぐらいにしか思ってなかったんですが、見終わってからしばらくたって、フォロワーさんの感想を読んだり、改めて振り返ったりしていたら、色んな思いが自分の中にあるっぽいなーという気がしてきたので、自分なりにまとめたいなと思い、今これを書いています。
あんまり自分の中でもまとまってないので、
とりとめのない文章を書き殴るだけの記事になるかとおもいますが、ご容赦ください。
1,今を生きる若い世代に向けられた映画
この映画を観終わって、しばらく自分のなかで寝かせて、それから僕の中で芽生え始めたのは、「今を生きる若い子たちにとっての『天気の子』が、僕にとっての『雲のむこう、約束の場所』と同じぐらい価値あるものになってくれたらいいなぁ」という謎の思いでした。おっさんです。(なぜ「雲のむこう、約束の場所」なのかという理由は後述します…)
これは僕自身の勝手な妄想ですが、この作品は新海さんなりの現代を生きる若い子たちへのメッセージがむちゃくちゃ凝縮されている映画なんじゃないかなと思っています。
ある種の願いのようなものがすっごく濃密に込められているんじゃないか、と。
あるいは、憧れとか、そういうのもあるかもしれません。
それを、ためて、ためて、ためて、最後に「天気なんて狂ったままでいいんだ」という叫びと共に、叩きつけるかのように爆発した……そんな感じでしょうか。
これは、新海さんが語ってくださっている「天気」というテーマを選んだ理由にも繋がってくるところなんですが、例えば異常な夏の暑さだったり、異常な量の雨がだったり……だけど、それを「異常」と捉えるのは僕達が「通常」を知っているからなんですよね。
僕達にとっての「異常」がもう生まれた傍からあって、それが「通常」な日常である若い子たちに向けて、「(大人達が言う)この狂った世界で生きていくことの正しさ」だったり、あるいは安直に言えば「昔はよかったのにとか、今の子はかわいそうとか、そういう大人の言葉に耳を傾ける必要はない」とかであったり、そういった想いが込められてるんじゃないかなって思いました。(以下、緑字は演出の居村健治さん)
「今小学生ぐらいの子っていうのは別にもうそんなのは当たり前なわけですよ。(中略)そういう彼らの気分になってみたかったし、彼らがこの先何を選んでどう生きていくのかを知りたかったし、描いてみたかった。そういう映画にしたかったんだと思います」 出典:月刊カット 8月号 株式会社ロッキング・オン
「「今」というこの時代に見てほしい作品を目指されているような気がしたんです。それも単に流行りのものではなく、「今の時代を生きるあなたたちに感じてほしい」作品なんだろうなと」 出典:キネマ旬報8上旬号 株式会社キネマ旬報社
作中で、「今の子たちは可愛そう」と須賀の義母がいうシーンのあとに、帆高が雨模様の東京を背景に嬉しそう、楽しそうに笑うシーンがきて、「あぁ、こんなにもズレてるんだなぁ」と何気なく思いました。こういうこと言う大人にならないようにしないとなぁ、とも思いました(失礼)。
2.「大丈夫」が大丈夫な新しい新海誠
天気の子を見終わった後もう一つ強く感じたのは、
新海さんは新たなステージに進んだんだなぁーということでした。
これまでの新海さんとは、ベクトルが全然違う。
それを強く感じたのは、この映画の最後が「大丈夫」という言葉で終わるということでした。
「大丈夫」という言葉を聞くと、やっぱりどうしても「秒速5センチメートル」を思い出してしまいます。
桜花抄のラストシーン、明里の「貴樹くんは、きっとこの先も大丈夫だと思う」というセリフです。
この大丈夫という言葉は、別れの言葉でもありました。
このシーンで、二人とも「この先ずっと二人一緒には居られない」ということを、はっきりと予感しています。
それが分かりながらも、その時点では(はっきりしているとはいえ)予感でしかない感情のまま、今目の前にいる相手に対し明確に別れの言葉をいうことなど当然できるわけもなく、そうして出た言葉が「大丈夫」でした。(だと勝手に思っています)
また、残念ながら貴樹君は全然大丈夫じゃありませんでした。
だけど、天気の子は違います。
帆高は本当にそのまま文字通り、「自分と陽菜は大丈夫」だと信じています。
あるいは、自分が絶対陽菜を大丈夫にする……歌詞通りいうならば、「自分が陽菜の大丈夫になる」と、覚悟を決めているんだと思います。
そしてきっと、陽菜も帆高のそんな言葉を受け入れるのだろうと思います。
そういう、「根拠はないけど二人なら大丈夫」という、捉えようによっては死亡フラグでしかない言葉ですが、そういった言葉を純粋な気持ちで真っすぐに言葉にできる主人公は、これまでの新海誠作品ではいませんでした。
うまく言えないんですが、これが「新しい新海誠」を感じさせてくれた一因になっていると思います。
…などと思っていたら、そのあたり新海監督がちゃんとインタビューで答えてくださっていて、わりかしスッキリしました。
「あのころ、僕はもう少し内省的な個を描いていたわけですけど、今、僕が描きたいもの、皆さんが見たいものはたぶんそれではないから。だから、今の物語を描いていくことを強く意識しました」出典:月刊ニュータイプ 2019年8月号 株式会社KADOKAWA
「今は自分の内側をエンジンにして前に進むんじゃなくて、内も外も関係なく軽やかに飛び越えてしまうようなものが見たかった。」出典:月刊カット 8月号 株式会社ロッキング・オンこれは後でも書こうと思っていたんですが、新海さんの作品って主人公や各登場人物のモノローグがあったりして、割と内省的に描かれていたんだと思います。
そのテイストは守りつつも、今作は明らかに内ではなく外に向かっている。
だから、これまでの作品とは明らかに違う。
過去の新海作品だったら、きっと帆高が島を出た理由とか、もうちょっとちゃんと描いたと思うのですね。でもそういった描写は一切なかった。
そういったところが明らかに、これまでの内省的な新海作品と異なることを顕著に表わしていると思います。
そういった新海さんの想いが伝わってきて、僕なりの「新しい新海誠」という言葉になったんだと思います。
(「君の名は。」はそのベースになっていると思います。3年前はそこまで僕自身考えていませんでしたが)
3.「天気」とか「セカイ」とかについて
新海監督の作品はよく「セカイ系」と言うものに分類されます。
天気の子がセカイ系かどうかというところがそんなに重要ではないと思いますが、
新海監督も一応定義に重なる作品ではあるとも言えるとは答えていらっしゃいます。
セカイ系と言う言葉に関して、今作改めて何か意識したかという問いに、以下のように答えてくださっています。
「確かに、その定義に重なる作品であるともいえますね。でも、同時にあの頃の作品群とはまったく違う空気をまとった作品であると思います」出典:月刊ニュータイプ 2019年8月号 株式会社KADOKAWA
僕はそんなにセカイ系作品に明るいわけではないですが、「天気の子」はこれまでにあまりない、新しいカタチでのセカイ系作品なのかなぁと思ったりもしました。
セカイ系作品って、割と主人公が内省的と言うか、ウジウジ悩んだりする。
女の子がセカイの危機のために一人でがんばっている外で、男の子(主人公)は自分の中の問題に足踏みし、悩んだりする。
だけど、少なくとも天気の子は前述したように、内省的なお話ではない。
だから、セカイ系の構造をとりながらも、これまでの新海作品はまた違う、新しいカタチでのセカイ系作品になっているんだと、思います。
今回「天気」をテーマで映画を作ることにした理由について、新海監督は以下のように答えられています。
「天気は地球規模の巨大な循環現象なのに、個々人のメンタルやフィジカルに影響を与える面白いテーマだから」出典:女性セブン 8月8日号 小学館
「"天気と人間の関係"が変わってきたということです。(中略)「情緒的で心地よいもの」から「何か備えなければいけないもの」に変わった気がしたんです」出典: 女性セブン 8月8日号 小学館
また、「天気」というものに関して、以下のように述べられています。
「セカイ系ということばが出ましたけれども、天気というのはセカイそのものとも言えるわけじゃないですか。」出典:月刊ニュータイプ 2019年8月号 株式会社KADOKAWA
天気というのはセカイのメタファーの役割も担っている。
そのセカイの捉え方だったり個人との関わり方や付き合い方っていうのも、
きっと段々変わってきていて、もちろんこれが正解だと言えるような回答なんてなくて…
そういった中で「天気の子」という作品は今を生きる若い人たちにとっての、セカイとの向き合い方に関して、新海さんなりの答えだったり想いだったりを叩きつけてくれているのかなぁとも思います。
ただ、「天気の子」という作品が個人とセカイとの関係を描いている作品とか言われたらもちろん決してそれだけではないと思います。
この「天気の子」という作品は、人間関係のお話といった面があることを、監督は述べられています。 (以下の引用の「ふたり」とは、帆高と陽菜のことです)
「自分じゃない人をすごく希求する気持ち、それがこの映画の中でのふたりの基本的な関係性だと思うんです。(中略)人間関係の話ではあると思いますね」出典:月刊カット 8月号 株式会社ロッキング・オン
個人が個人を希求する人間関係も描いているお話。
それと同時に、セカイとの付き合い方を提示してくれるお話にもなっている。
そういう風に考えると、確かにセカイ系だなぁと思ったりします。
4.小さな肩に世界を乗せた少女のその世界の重荷を半分持ってあげる話
もう少しだけセカイ系のお話をさせてもらうと、僕の好きなセカイ系作品って、やっぱり女の子が一人でセカイのために頑張っているイメージがあります。
新海作品で言えば、「ほしのこえ」や「雲のむこう、約束の場所」はそういった類に含まれると思います。あとは、高橋しん先生の「最終兵器彼女」だったり、秋山瑞人先生の「イリヤの空、UFOの夏」だったり……これは僕が好きな作品を並べただけです。
そうして一人セカイの重荷を背負う少女に対して、少年(主人公)がそこから助けようとしたり、あるいは支えようとしたりする。
「天気の子」とこれらの作品の違いとして、最終的に「世界のその重荷を半分少年が持ってあげる」という、ある種共犯のような関係性に落ち着くところだと思います。
持ってあげるというか、奪うというか、無理やりひっぺがすっていう表現の方が近いかもしれませんね。
世界のカタチを変えてしまったことを知っているのは、帆高と陽菜の二人だけ。
この、世界の秘密を少年と少女だけが知っていて、この先もずっときっと二人だけ……そういった関係性に落ち着くところは、なんとなくこの先本当に大丈夫なんだろうかと不安になるんですが、強く「大丈夫」だと肯定したくなる。
そんな素敵な作品になっているなぁ、と僕としては思う次第です。
5.「雲のむこう、約束の場所」から「君の名は。」を経て「天気の子」へ
どうして僕にとっての「雲のむこう、約束の場所」であって欲しい、と言ったかというと、理由は単純で、「雲のむこう、約束の場所」は僕が初めて見た新海誠の映画であったということと、「天気の子」と「雲のむこう、約束の場所」が、本質的な部分でやっぱり似ているなぁと思うところがあるからです。
ただ作品の雰囲気だったりテイストだったりっていうか全体的に全く別物なので、私のこのブログを読んで「おっ、そうなんか!よっしゃみよう!」と思われてしまった希有な方は、自分で言っておいてすみませんが、いったん深呼吸して頭をリセットすることをお勧めします。(映画自体はおすすめします)
「雲むこう、約束の場所」を初めて見たのは僕が高校生のころだったので、もう10年以上前になります。丁度「秒速5センチメートル」が劇場公開していたころだったはずです。
初めて見た時の感想は正直もう覚えていないんですが、何回も繰り返し見ている、とても大切な映画です。
少し話がそれますが、「君の名は。」の感想もこのブログで書いていて、本当に久しぶりに読み返してみました。3年前の僕は、「君の名は。」でそのまんま「雲のむこう、約束の場所」と同じ演出のシーンがあったこと等に対し、憤っていました。(「君の名は。」自体は大好きですよ)
でも、天気の子でそういった怒りみたいなものは、まぁ、ないですね。
その理由を自分なりに考えてみたんですが、多分以下の2つぐらいになるかなぁと。
①本質的な部分(一人で世界を支えるヒロインを主人公が迎えに行くという構図だったり、世界に立ち向かう構図だったり)が似ているのであって、演出面は全く違うということ
②結末の二人の関係性が異なること
③映画公開時の新海誠の知名度が比べ物にならないこと
特に、③について少しだけ。
「君の名は。」が公開された当初、正直まだ新海さんの知名度って、多分そんなに高くなかった。
熱狂的なファンは大勢いましたが。「名前は知ってるけど見たことはない」「なんとなく見てみた」みたいな、ある主ライト層ってとっても少なかったと思うんです。
比べるのもおこがましいですが、ジブリや宮崎駿を知らない人って多分ほとんどいない。
映画を見たことがない人はいるかもしれないけど。
本当は、そういった層を広げる、あるいは取り込むことを目的に「星を追うこども」は作られたのかもしれないけど、まぁ、失敗だったと思います。
その後公開された「言の葉の庭」はとってもいい映画だったし初めて東宝とタッグを組んだりもしましたが、公開規模自体はまだまだ小さなものでした。
だから、その頃正直新海さんの知名度ってまだまだだなぁ、と思っていた。
正確な数値は知らないけれど。(もちろん有る程度は広がったと思いますよ)
そんな中、公開されたのが、「君の名は。」でした。
初めて新海誠を見る人、たくさんいたことだと思います。特に若い子たちには。
そんな中で、きっと「お前らは新海誠を知らないだろうけど、俺はもうとっくに知ってるんだぜ」みたいな謎の古参アピなのかイキリなのか分かりませんが、そういったものが少なからず僕の中にあったと思います。
「君の名は。」は新海誠のベスト版だと、良く例えられますが、本当に、その通りなんです。
そうして、新海誠ベスト盤「君の名は。」で新海さんを初めて知った人達が、あのシーンがよかった、このシーンがよかった、とか語るわけです。
そうすると僕の中のイキりやろうが言うんですよ。いやそれもうやってるから、いやそれあの作品のあれだから、違うから……と。ちっちゃな人間ですよ、ほんと。
言い分けをさせていただくと、そういった新海さんならではの魅力は、できたらベスト盤ではなくシングルそのものでまず味わってほしかった……そういった気持ちがあったことも確かです。
ただ、天気の子は違います。
この映画は、「大勢の人に見られることが確定している映画」なんです。大勢の新海誠を知った人たちにみられる映画なんです。
もう「俺は知っているけどお前らは知らない新海誠」じゃないんです。
そんな新海誠はもう存在しないと言っても過言ではないです。(大げさですかね)
うまく説明できないんですが、とにもかくにも、今回は「君の名は。」の時に感じたような憤りはありませんでしたね……(何度も言いますが、僕は「君の名は。」も大好きですからね)
あと、やっぱりこの「大勢の人に見られることが確定している」っていうのは本当に重要で、というかもしこのそういった舞台が整っていなかったら、天気の子は別の作品になっていたんでしょうね。
「君の名は。」の次作というだけでたくさんの方々に見てもらえるのではないか。だとすれば、「だからこその作品にしなければいけない」日経エンタテインメント! 2019年8月号 日経BP社
6.終わりに
「全然まとまってないけどこれ以上内側に貯め込みたくないし一回吐き出したいからとりあえず書きなぐったろー!!!」ぐらいの気持ちで書き始めた結果、やはりまとまりのない記事となってしまいました。
まだまだ細かいところ色々書きたい気持ちはあるんですが、終わらなくなってしまいそうなので、このあたりで切り上げたいと思います……
大体言いたいことは言えたかなと思います。
最後に、感情の赴くままに
僕は本当に新海誠監督の作品が大好きで、「秒速5センチメートルが」一番好きなんです。
だけど、今またああいった作品を新海監督に作ってほしいかと言われると、もう違うかもしれない。
「君の名は。」を見終わった直後は、「これはベスト盤でこれまでの新海さんを全部出しつくしたんだから、次作は全く新しいことをやってほしい。そして可能なら新海さんの作家性を存分にだして、『君の名は。』で新海さんを知った人たちをどん引きさせてほしい」 ぐらいに思っていました。本当に。
だけど今回天気の子をみて、新海さんは僕が考えていたような、そんな所はもう全く見ていませんでした。自分がなんとなく恥ずかしくなりますね。
物理的に規模も大きくなって、知名度も桁違いに膨れ上がっているなかで、賛否両論を湧き起こしたい、もっとみんなを怒らせたいという気持ちで、こんな素敵な作品を作ってくださった監督には、もう感謝しかない。
これからもどんどん新しい新海誠監督を見せてほしいです。
けど、たまには昔を振り返ってみたりするような作品も見せてほしい。
新海監督の作品は、例外なく、どれも優しいです。
「天気の子」が劇場で公開されている間、可能な限り見に行きたいなぁと思います。
好きな音楽のPV映像とか、何回も繰り返し見てしまう。
それと同じように、新海監督の作品も思わず何度も見てしまう。
映画館で新海さんの作品が見られることが、本当に幸せだなぁと思います。